膀胱腫瘍:入院四日目。「すべてが用意されているゼロポイントフィールドにつながる生き方」
今回の入院に際し、一冊だけ本を持っていくことにしました。
人間も、小さな小さな細胞の塊で、さらに小さな素粒子レベルまでの小さな存在になるわけで。
そこまで小さな素粒子レベルで見たときに、人は自分の見たいものを見れる。現実を作り出すことが出来る。
そのために、自分の周波数を見たい世界と同じフィールドに合わせるための方法論、みたいな。
というような、スピリチュアル的要素を量子力学で解説した一冊です。ものすごくざっくりいうと。
なんか見えないよくわからない特別な世界の話、というよりは、実践的で現実的な切り口で。
誰でもが出来ると思わせてくれる、とても読みやすいしわかりやすいんじゃないかな。
病気という現実が我が身に起こって。
ガンの疑いがかけられても「なぜワタシがっ😭!!」と悲観的になったことは一度もないんだけど。やっぱり「生き方」については、この機会にぐるりと考え直させられはしました。
いついかなる時に、人の命なんてどうなるかなんてわからないわけでね。
一生懸命に生きること、それのみだなぁと思った次第。ほんと、それだけが目標よね。生ききる。
それと。
ワタシにとって、大切な人っていうのが改めて浮き彫りになった。
友達は、たった一人だった。
今回の病気騒動で、友達だと思ってた人にもうあまり関心を持たれてなかったことがわかって。
それが全然悲しくないのね。
ま、わかった時はちょっとだけ落ちたけど(笑)。
けどやっぱそうだよなっていう気持ちの方があって、自分でも踏ん切りつきましたね。
五十代の女子って、そういうのけっこうあるあるじゃないかなぁとも思います。
友達よりも、家族や自分の現在いる場所のことの方が大事なのは、至極当たり前ですしね。
だけど、自分の「命」を考えたとき、関係が切れるならそれもまたよしだなと心から思いましたね。執着したってしょうがないってのが本音。
それよりも、たった一人だけ。親身に心配してくれる友達がいてくれるというのが、ほんとにありがたかったね。
たった一人しかいない、じゃなくて。たった一人でもいてくれる。
この世で自分のことを思ってくれる他人がいるんだというのが、とても有難く思えたんだよねぇ。
ワタシの健康を自分のことのように考えてくれるなんて、それだけでも実は希少なことなんだと、ほんとに思えましたねぇ。
そして驚かされたのはうちのダンナ。
何事にも動揺したのを見たことがなかったダンナが、なんとなく落ち着かない様子だったりワタシの体調を気にしたり「俺もちょっと落ち込んじゃって。」とか言ってきたりしたのが、あんたそんな人だったっけ???と何度もびっくりさせられました。
考えてみたら来年で、一緒になって25年。
そりゃお互い年も取るし、いい加減距離感も掴める間柄だけど、それにしてもダンナだって元は他人。よくもまぁ長いこと一緒にいて面倒みてもらってきたなぁ。心配してくれるなんてありがたいなぁ。
などとしみじみ思います。
ダンナなんだから心配するのは当たり前、なんて一つも思ってなかったので、彼が思いのほか自分事のように思ってくれるのも、ほんとにありがたく思いましたね。
夫婦がお互いのことを思いあえるのって、自分の幼少期を思ったら非常に意味のある夫婦生活だったと振り返れるのがまた有難く。
改めて思ったのがそういう気持ち。
とにかくもう、ありがたいことにばかり気が付いて。
だから、今この病気疑いにかかって、正直に、ほんとに良かったと心から思います。
そして、自分に対してももう過剰な期待を強いないこと。
今までは、自分がこうじゃなきゃとかあぁじゃなきゃとか、自分に無駄に期待値かけて、そうじゃない自分を「これじゃない!違う違う!」と思ってきたけど、もうそういうのやめようと決めましたね。
そうは言ってももう五十二よ。
やれることも、だいぶ限られてきてるしね。体の老化はもう、それは顕著なわけで。
家族を大事にして、友達と語らう時間を作って。
体にいいもの、おいしいものを作って食べて。
そんだけでも十分じゃないか。
そう思ったのが、この数か月の答えでした。
本の内容からはちょっと離れましたが(笑)、この本にもありますし、前にもいろいろなところで教えてもらったのは、とにかく願いがあるなら「先に感謝する」というのが効果的らしく(笑)。
パラレルワールドが同時に存在して、思った瞬間にその世界があるのでそっちのフィールドに合わせて気持ちを幸せにして・・・うんたらかんたらとありますが、その辺は本を読んでください(笑)。
ワタシ的にはようやく「今いるだけで感謝だな。」という心持ちになれそうなので、これからは「ある」ことに意識を向けて日々を生きようかと思ってます。
あとは楽しむこと!これに尽きますね( `ー´)ノ。
これもまた、入院中に見た動画に気づかされたんだけど、人間て、やっぱ楽しそうに思えないと頑張れないのね。
数年前に、ある人からものすごい罵倒に近く叱責されたことがあって。
ずっと心の片隅に引っかかってたことがあったのですが、もうね、それも手放せましたね。
その人の言ってることは合ってるんだろうえど、何故か一緒にやりたいと思えなかったのって、楽しそうじゃなかったからなんだわって。
それこそもう、ワタシの時間を使うのはワタシ。誰がどうのこうの言ってたなんて、マジどうでもいいっての。
今までも、それをモットーにと考えておりましたが、案外無意識化で自分の思いとは違うことを選んでたんじゃないだろうかって、そんなことを思ったりもしました。
人に喜ばれるって大事なことだけど、そこはやっぱりwinwinじゃなきゃバランスが崩れちゃうんだよね。
これからはほんと、周りと同じくらい自分の楽しいを追及して生きて行こうと、この機会に心から誓いました。