ちゃ風呂~迷える老羊~

イソジにて、未だ道の途中。

いとこのともちゃん。

先週の金曜日。

いとこのともちゃんからお手紙が届いた。

内容は、母方の菩提寺にあるお墓の始末についてだった。


母は三姉妹の末っ子だったのだが、60歳の時乳がんで亡くなり、分骨して母方の墓に入れてもらっていた。

だが、もう墓守する人がいないので、ともちゃんは自分が元気な時に始末したいと、費用は自分たちで出すから、というような内容だった。


長いこと母に会いに行くようにお参りさせてもらっていたので、少しばかりでも足しにしてほしいという気持ちがあり、書いてあった電話番号に次の日の朝、9時過ぎに連絡した。

「少しで悪いんだけど、アニキと10万づつ出すから使ってほしいんだ。」

そう伝えると、最初こそ戸惑っていた様子だけど、

「ほんとに?・・・ありがと。ありがとね。」

その声には安堵感が含まれていた。





その日の夕方、登録したてのともちゃんから連絡が入った。

もうお寺さんに話したのかな?気が早いな。


そんな感じで受話器に出てみると、相手はともちゃんのダンナさんだった。


「あ、この番号ちゃあさんなんだ。そうか、お墓の話したのね。




あのね。





ともちゃん、死んじゃったんだ。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





ともちゃんは、ちょうどワタシの一回り上。63歳だった。

優しくてかわいらしくて、親戚中の人気者だったともちゃん。

最後に会ったのは、3年くらい前の法事の時だったかなぁ。

その時も、全然老けたなんて微塵も感じさせなかったし、当然元気だった。

電話で話した時も、まったくなんの予兆も感じなかった。



けど。


ワタシと話したのが9時過ぎ。

その後たぶん、11時からダンナさんが帰る12時の間に、何がしかの不調に襲われて帰らぬ人になってしまったって。

驚きすぎて、しばし声が出なくなった。

ほんとに、なんていうタイミングだったんだろう。





人の命なんて、ほんとにわからないもんなんだね。改めて思わされる。

どんなにいい人でも、どんなに若くても、命の長さを決めるのは自分以外の何かなわけで。それだけは、誰にもどうすることも出来ないわけで。

うちの母親は60歳でこの世を去った。

ともちゃんは、63歳だった。


ワタシの命が、それより長くなるか短くなるかわからないけど。

あと、もう寿命が8年とか10年とかだとしたら、ワタシはこの先、何をして生きていけば後悔しないんだろう。

悲しいというより、ものすごく考えさせられています。


ほんと。

ちゃんと生きなきゃだな。