ちゃ風呂~迷える老羊~

イソジにて、未だ道の途中。

いい人の呪いにかかっていた話②

続きです。

だいぶ長い記事になってしまいました。(7800文字っ!)

長いし、だいぶ愚痴なんで、ほんと~に暇があってしょうがないって人がいたらお付き合いください。

書き出すと、当時のことを思い出して、

「実はめっちゃ意味わかんないこと言われてたなっ!」
「実はあの人、ワタシを思い通りにしたかったんだなっ!」

ということがわかって、なんか今さらながらめちゃくちゃ腹が立ってきました"(-""-)"。
なのであまり内容は楽しい話ではありませんので申し訳ありません。

が、ここで出し切って、もう次から楽しい記事につなげたいと思います。

新人は二人ともドタキャン。

二人フルタイムが入るはずだったのですが、一人は年末のそれこそ忘年会当日に連絡を入れてきて入社を辞退ました。
そしてもう一人はまさかのバックレ。連絡もなく、センター長が家まで行ったそうなんですが、なんと居留守をつかわれたそうです。

二人とも50を過ぎた大人。けどまぁそういう人も世の中にはいますよね。

最初の人の辞退の電話を受けて、センター長から報告された社員は、帰ろうとするワタシを走って追いかけてきました。

そして、またも社員の手のひらが返ります。

「ちゃあさん。。。悪いんだけどさぁ。。。」

当然言ってきますよね。わかってましたよ。

「…わかったよ。しょうがないからもう少し待つよ。」


書いてみると、なんでそう受け入れちゃったかなぁとも思うのですが、やっぱりほかの人のように、その職場を見捨てていくことはワタシには出来ませんでした。

それは、自分が前年、人がいなくて死にそうになりながら働いてたことが一番の理由でした。
あんな思いは出来れば他の同僚にさせたくない。

というか、同じことがあったら、年数の短い新人たちは迷うことなく辞めていくだろうと思いました。

ワタシにはまだ、その職場や仕事に対する情があったので、どうしてもそう判断するしか出来ませんでした。

ただ、「次の人が決まるまでね。」そうは言いました。
まだ辞めるのやめたとまでは思えませんでしたしね。

次の人は未経験のおじさん。

そして、次の人が2か月ほどして決まりました。

65歳、未経験の男性です。

ほんと。こんな感じの人でした。あはは。

いやぁ。。。悪い人ではなかったのですが、正直めちゃくちゃ教えるのが大変でした。

一つ教えても、次には絶対違うやり方を始めてしまうので、また一から教え直すのが、ほとんど3か月続きます。

それでももうこの辺で見切りをつけないとと思い、社員に申し出ました。

「新しい人入ったんだから、もういいよね?」

というワタシに、社員は眉をひそめて言い出します。

「いやぁ。危ないと思うよ。あの人。」





いや、あんたが入れたんでしょうがっ!!





自分がセンター長と相談して入社させたのに、そんなこと言われても知らねぇし。その時はそう思いましたよ。

ところがです。クレバーな彼女の予想は的中します。





おじさん、3か月目で退職希望。理由は腰痛。





たまたま、ワタシと社員とおじさんの出勤日のことでした。

仕事が終わりかけの時間になって、おじさんが社員を呼び出したので、もはやほとんど確定の雰囲気を感じながら仕事をしていました。

その後、おじさんが帰ってから社員がワタシのもとに来て言います。

「もう一か月くらい前からロキソニン貼ったり飲んだりしてるけど、一向に腰痛が治らないんだって。
こんなに早く退職されたら困るって、一応は言ったんだけどさぁ。」


いや、一応って(-_-;)。

ワタシにはてこでも譲らないのに?
けどもう、予想の範囲のことでした。



あ~あ。なんかもう辞めるっていうのも疲れたなぁ。。。



ワタシの中で、なんかもうどうでもいいやって気持ちが湧いちゃいました。

「…わかったよ。。。とりあえず辞めるのやめるよ。」

コロナ蔓延期で、動く気が失せた。

ワタシが小さく呟くと、社員は椅子から転がりだす勢いで立ち上がると、

「辞めないね!いてくれるんだよね!?センター長に話してきちゃっていいよね!!??」

と、ほとんどその後のワタシの言葉も聞かず、事務所を走り出していました。



あ~~~~~、言っちゃったよ。



我ながら、ほんとになんだろこれ?というような気持ちになりました。

けど、この時は彼女に促されたわけでもなく自分でそう判断しました。
おじさんが辞めたからってだけでそう決めたわけではありません。

時期が、3年前の3月の頭の話です。

ようするに、いよいよコロナの猛威が始まりそうだと世の中が戦々恐々としていたころです。
軒並み飲食店が自粛を余儀なくされ、会社員の皆さんも自宅待機が始まるぞ、という時期でした。
今退職したとして、この先どこでどのように勤めるのか、勤められるのかがわからない状況でしたよね。
それまでと状況がガラリと変わり、そうは言っても慣れた職場で慣れた仕事を、今このタイミングで逃すのはなかなかにそちらのリスクを感じました。
時代が時代だけに、無収入というのもかなり不安を持ちましたしね。

だからその時、ちゃんと社員にも言ったんです。

「とりあえずコロナが収まるまでね。」

そしたら彼女言ったんですよねぇ。

「えっ?あと10年は無理だよ。」

そう言ってケラケラ笑う姿はちょっとした恐怖でしたねぇ。
どんだけ世の中が混乱し続けること想定してんだかっ。



つうかだからって10年もいるかっ!!!!

それから2年後の去年。頸椎ヘルニア患う。

そんなわけで、ワタシはすっかり仕事に対するやりがいを無くしながらも、それでもまだまだ未熟な新人さんたちのフォローや社員の話し相手となり過ごしておりました。

週四日だったのを三日に減らすことを残る条件にしていたので、だいぶ身体的負担も減ってはくれたのでなんとかやり過ごすことができました。

けどこないだ書いた通り、新人の穴が開けば自分が代替え出勤することがとても多くなり、精神的負担はほとんど変わらないままでした。


そんなある日。

ワタシは自転車ですっころびました。あはは。

片手で持っていた荷物を支えることができず、あれよあれよと左に倒れこんじゃいました。
無理にかばうと手首を折るかもしれないとそのまま倒れたのですが、左側の出てる場所すべてを強打。
後ろを歩いてたOLさんに「だ、大丈夫ですか!?」と駆け寄られるほどの、見事なこけっぷりでした。

まぁでも、そんな傷も2週間もすれば治るほどのものだったのであまり気にも留めてなかったのですが、それから1か月ほどした頃からなんとなく腕の力が入らなくなりました。
ん?変だなぁ?とは思っていたのですがそのままにしておいたところ、2か月くらいたったある日のこと、腕にほとんど力が入れられず、20センチの大きさのボールを腕で支えることができなくなってしまいました。
さすがに焦って、まずは近所の整体に行ってみたところ、「ちょっとヘルニアかもしれませんよ。」と言われます。

自分の身に降りかかるまで、ヘルニアがなんなのかもほとんど知らなかったワタシですが、さすがに病名がつくのならと、整形外科にかかりました。

レントゲンとMRIを撮ってみたところ、先生が、
「やはり軽度のヘルニアですねぇ。けど、これくらいなら加齢でなる人も多いですから、重症化することはほとんど心配ないですね。」

腕がしびれてるってけっこうな症状だけど、これで軽度なのかぁ。。。

まぁ先生の態度はまったく心配してる様子がなかったので、ちょっとだけ安心して、しばらくリハビリに通うことになりました。

腕の状態は心配でしたが、同時に頭をもたげたのは、

「これ以上の理由はないよな。」

そう考えたワタシがいました。

ようやくちゃんとした理由ができた。…けど、やっぱりだよっ。


それから数日後。仕事が休みの日の夕方に、職場に足を運びました。
腕の調子が悪いのはすでに宣告済みでしたし、その時間にワタシが来るということは、大体の察しがついていたと思います。

「まだ軽度だとは言われたんだけどね。。。ま、この仕事やってればよくなることはないだろうしね。

というわけで、退職させてください。

さすがに理由が理由なだけに、以前のようにまず強引に引き止めるという言葉は社員の口から出ませんでした。
なんか考えてる様子でしたが、

「…で、いつぐらいに辞めたいの?」

との言葉。

すぐにでもとは言いたかったものの、実は一緒に働いてる持病もちの子の状況がけっこう悪いと聞かされた直後のことだったので、なかなかそうはいかないのもわかってたので言いました。

「ま、すぐは無理だろうからさぁ。。。けど長くても年内ってことで。」

話をしたのはお盆明けのころ。

前回、まったく人が来なかったこともあり、自分としてはマックスの譲歩を提示したつもりだったのですが、これが彼女にチャンスを与えてしまった。

「えっ!?そんな先の話なの??じゃあセンター長には話せないわ~。言えない言えないっ!!
だって~、その頃になったらまた状況も変わるかもしれないじゃ~ん!よくなるかもじゃんっ!!」






何その言い分?



またも理解に苦しむ彼女の反応。
ワタシは年末までいるとは言っておらず、マックス年末まで考慮するって言ってるのに、勝手な解釈でまたさらにワタシを引き止めようとしてるのがわかります。

体調不良で辞めると言ってるのに、それでもなんとか思い通りにしようとする彼女の態度に、さすがにうんざりする気持ちが湧いてきました。

「年末までいるって言ってないじゃん!だったらもう来月辞めるからセンター長に言ってよ!それなら言えるんでしょ!?」

ほとんど怒鳴り返すみたいに言い放ったワタシに、彼女は口を閉じました。もうほんと、いい加減にしてよ。

「…もう無理だって言ってんじゃん。ワタシだって大変なことはわかってるけど、この職場にいたら、体調整えるために2,3か月とか休めないの、お互いわかってんじゃん。」

最後は涙ながらですよ。泣き落としでもなんでも、絶対今度だけは引かないぞ、との思いです。
つうか2,3か月休んで戻る気なんて毛頭ないけどね。

さすがにこの時ばかりは自分の思い通りにならないとわかってくれたのか、

「…まぁそうだよね。体調が悪いんじゃしょうがないよ、ね。…わかったよ。」

ようやく社員の口からその言葉が出ます。

あ~~~。ようやくOK取り付けたなぁ。。。。。やれやれだ。


それが8月のこと。

けど、実際辞めたのは今年の3月。ま、ワタシの想定内でしたけどね。

その後の半年の戦い。

一応センター長とも面談。そっちは理由が理由なだけにすんなりとOKをもらう事ができました。

ま、センター長は現場を知らないしね。付き合いも厨房とはほとんどないし。

それより前回のおじさんが抜けたときに退職を撤回したことで、逆に恩を感じてもらってたんじゃないかと思われました。


ですがねぇ。


ものすごく想定内だったのですが、それから半年。社員との攻防は続くことになります。

一か月ほどして、

「ちゃあさん、まだ痛むの~?良くなってんじゃな~い??」

「…痛いよ。」(治ってたらどうだってんだ?)


二か月ほどして、

「考えたんだけどさぁ、体がきついなら事務仕事する!?」

「そんなんないじゃん。」(事務仕事はお前の仕事だろっ!?)


そして驚いたのは三か月目。
ワタシの方から声をかけました。

「そろそろ代わりの人の面接とかしてるの?」

そう聞いたところ、なんとなく濁した様子。なんか変だなぁ。

「…う~~~~~ん。あのね。ちゃあさん、だいぶ調子いいのかなぁと思って、センター長に募集かけるの待ってもらうように言ったんだ。」





!!!!!!(# ゚Д゚)



驚いた。マジで驚いた。

まさか退職願いを本人に断りもなしに、施設長に取り消しを言ってたなんて、マジで驚いた。

「……マジで?……ほんとに、勘弁してよ。」

さすがに怒りがにじんでたと思う。

少しだけ慌てた様子を見せたけど、

「あの、ね、ちょっと前に言われたのね、センター長に。今募集かけちゃうと、もう誰かを辞めさせるの決定だよって。だからさぁ、一度ちゃあさんに確認してから、それからにしてくださいって、そうね、言ったんだよねっ。」





…確認してねぇし。お前。




「…あのさぁ。ワタシ、辞めるって言ったよね?それ、何があっても変わらないからね。」

めちゃくちゃドスの入った声で言いました。

「…そ、なんだね。わかった!わかった!あははは!!!!」





あははじゃねぇよっ!





さすがに退職願いを勝手に取り消されたこの事件には驚いたけど、その後も、

「長期休み取れるならいてくれる?なんとかセンター長に掛け合ってみるよ♪」

と頼んでもいないことをやろうとしたり、何故か、

「ちゃあさんほんとは辞めたくないんでしょ?」

とわけのわからない思い込みでなかったことにしようとしたり。ま~~~~~じ~~~~~でしつこかったです。

おかげで何度か言い合いになったし。マックス年末と思っていたのですが、その後、やっぱり人が来なかったこともあったり、隣のセンターの厨房職が全員退職するという、類まれな事件があったりし、情に流されたワタシが抜け出せたのは、予想通り、宣言してから半年後の今年3月でした。

長い長い、退職に向けての戦いがようやく終わりを迎えました。

ま、実際はこの他にも激しい攻防は何度もあったんですけどね。

いやぁ。あまりに引き伸ばされたので、辞めた時は、ほんとに一ミリの後悔も残りませんでしたねぇ。

「いい人」の呪い。

そうなんですよねぇ。

それでも彼女は、世間一般で言う「いい人」の部類には入ると思います。

いじわるするわけでもなく、いつも周りに目を配って「パートさんたちには気持ちよく働いてもらいたい。」をモットーに、常日頃から業務の改善案を模索してて。

根性のこの字もなく、何事をも続けることがなかなかできなかったワタシが、一応調理師としての名刺を持てたのは、彼女の功績が多分にあったことは事実であり、その部分は感謝でしかありません。

が。

辞めて気づいたのですが、いつからか彼女はワタシがしたいということに対して「そんなの絶対無理だよ。」と全否定することがたびたびあったのでした。

英会話の勉強を始めたと言えば、
「この年からそんなの絶対無理だよ~!あはははは~~~!」
と意味もなく笑われ。

17キロ痩せたと言えば、
「もうそれ以上痩せなくていいよ~!絶対体に悪いよ~!あはははは~~~!」
と意味もなく歯止めをかけられ。

仕事を辞めたら職業訓練校に行くと話せば、
「今さらなんで勉強するの?ていうか、コロナなのに通学するの?危なくない?」
とまたも否定から入られ。

この頃からなんか彼女と話すともやもやする気持ちが発生していました。

けどほんと。これ、辞めるまで気づかなかったんですよねぇ。実は。次の仕事が決まってまして。。。

再就職先が同業のワタシを全否定。

そうなんです。
実は無職と謳っていたのですが、7月から再就職が決まりました。

老人ホームでの調理の仕事。ようするに出戻りです(笑)。

職業訓練は6月半ばまであったので、ほんとはそれが終わってからゆっくり探そうかとも思ったのですが、この前職の社員がな~んとなく戻ってくることを期待してる匂いを醸し出して何度か連絡してきていたので、とにかく早急に決めてしまいました。

辞めたかった理由に時給のお話をしましたが、なんと200円以上も高い時給を提示され、即決しました。次の職場は、ちゃんと調理師免許を評価してくれる会社のようです。

いつまでもあてにされても困るので、学校が休みの日に彼女に連絡して前の職場で会い、再就職が決まったことを伝えました。

まさかそんなに早く次の仕事を見つけるとは思ってなかった様子の彼女は、最初「…え?あ、そうなんだぁ。へぇ。」という薄い反応でしたが、その後、再就職先が同じような仕事だと言うと、またもものすごい圧で否定してきました。

「え~!なんでまたこんなキツイ仕事するの~!?週四日8時間!!??しかも朝6時から!!??無理だよ!無理無理!!!私の友達なんかも、みんな飲食やってた子は長くやれないって事務職に行ってんだから~!!!」

と全否定。

一緒に働いてるときはそういう彼女を受け流していましたが、久々にやられるとものすごい違和感。

いや、あんたやってるじゃないの、その仕事。それを全否定なんかいっ?
それに、あんたの友達が辞めたのとワタシを一緒にするのもよくわからんし。
というかほんと、ワタシの人生なんだから、ワタシがどう決めようが自由でしょうに。

あまりの言われっぷりに「キツイのは知ってるし!ワタシもやってきたし!!」と言い返しました。

もう辞めてるのになんでここまで圧かけられてんだ?と思った瞬間、初めて、
「あれ?おかしいぞ。」
と思いました。

今までなんとなく彼女に抱えていたもやもやの正体。
ようやくそこで、ハッと気づきます。

「あ~。この方法が彼女なりのワタシを操る方法だったのかぁ。」


頭のいい彼女はたぶん無意識ながらも、職場で関わるワタシたち部下に対して、操るパターンを作っていったんじゃないかなと思ったんです。時に褒めたり、時に脅しに近い注意をしたり。

そして、自分の意に返さないことが起これば、「世の中の常識」を振りかざしてそれを阻止しようとする、典型タイプの人間だったことを思い出しました。

実はそのことにはだいぶ前に気づいてて。最初の数年は、ワタシの方がそのことを理解した上で、一線を引きながら付き合っていました。
ですが、たぶん職場が崩壊しそうになった頃に、お互い無意識でその線を越える付き合いになってしまったんだろうと思われます。そうして変な馴れ合いが生じたのかと。

ものすご~く関係性が歪になってしまっていたことを、離れてやっと思い知りました。
彼女はワタシにとって、一番嫌だった「押さえつける」ことをする存在に、いつの間にかなっていたのですねぇ。。。

「いい人」というのは実は「いい人」ではないことが多い。

何度も書きますが彼女は「いい人」です。けど、いい人って、自分の常識が絶対に正しいと思ってる人がめちゃくちゃ多くて困ります。

その振りかざした常識は、めちゃくちゃ鋭利な刃物として人を傷つけることを本人はまったくもって気づかないというのがよくあって。常識なんて、その人それぞれ違うのが当たり前なのに。

そして、世の中には「絶対」に正しいことなんて一つもないのに。

とにかく。

辞めてから気づきましたねぇ。辞めたかった理由に彼女と働くことが含まれてたってこと。

我ながら気づいて驚いたけど、ほんとにだからあんなに日々もやってたんだなぁって。辞めることが出来てつくづく良かったと思います。

今でも彼女のことを心底嫌いかと言われるとそんなことはなく。
やっぱり有能で、「いい人」だったなぁとは思い返しますね。


ただもう二度と一緒には働きたくないけど。

それこそ絶対に

あははははは。