ちゃ風呂~迷える老羊~

イソジにて、未だ道の途中。

ダンナ、博多に戻る

イソジ、ダンナを見送る。

土曜に帰ってきたダンナ。

本日、博多に戻っていきました。ほんと、とんぼ返り。

手荷物検査がけっこう混んでて。

その後ろ姿をずっと眺めてた。


去年からやたらと出張ばっかりで、こんな姿も何度見たか。

すっかり禿げたなぁ。

と、笑って見てた。

アナウンスで『上着も検査しますので…』と言われてるのに、脱がずに入ってあたふたしてるし(笑)。

バカなの?あはは。


10分以上並んだあと、ようやくゲートを通ったダンナ。そして、こちらに振り向いた。

もうお互い手を思いっきり上げないと人込みでよくわからないので、ブンブンと高く手を振りあって挨拶をした。



なんだろなぁ。

毎回、ちょっとだけ泣きそうになる。


イソジ、27年も一緒にいれば。だが。


おはようも、ただいまも、ほとんどもう言い合わない。

だいたいどっちかがニヤニヤ笑ってるか、流し目で文句を言い始めるか。

付き合いも27年にもなれば、そんな仲よ。

出張に行っても三日にいっぺん連絡があればいい方で、ほんとにお互いがお互いきまぐれに生きてるような夫婦だ。

それでも、別れる時は手を振りあっている。

どうかご無事で。

そう思いながら。






何年前からだろうなぁ。。。

こうやって別れる時、思う。

「これが最期かもしれないんだな。」

ってこと。

もう、人生は折り返しをとうに超えた年になったからだろうなぁ。




イソジ、自分勝手に生きてきた結果。



大事なものを何一つ大事に出来なかったと思う、わが人生だ。

イソジにして、山のような「後悔」がワタシには積みあがっている。


みんなそんな風にしてんでしょ?と思っていたが、どうやらこれは、ワタシだけの癖のようなものらしい。
自分勝手な性格が、そういう癖付けの原因だろうな。なので、人にはあまり、自分勝手過ぎる生き方は推奨しない(笑)。

だが、ワタシはそれを選んで生きてきた。

後悔は山のようにあるが、自分勝手に生きてきたことは後悔してないので、やっぱりこういう風にしか生きられなかったんだろう。

けどその結果、ワタシはたぶん、とても孤独な晩年を過ごすんだろうとは今から予測がつく。

子供もいないし、親戚との付き合いもない。友達も皆無だ。

性格は悪いし、金もない。

こんな老婆の相手を誰がするってんだ?いるわけねぇじゃん。

が、それはもうまさに『身から出た錆』。甘んじて受け入れるしかないのだ。




だが、ダンナは違う。

あいつはただ、ワタシが好きなように生きるのを、ただ黙って受け入れ続けていた。

本来はおおらかな性格で、面倒見も悪くない。親戚とも柔軟に付き合っていた。

どうやら子供も好きだったらしく、友達の子供、それも障害がある子のことを「すんげぇかわいいんだよ。」と言ってた時は、だいぶ申し訳ない気分になった。

健康管理なんて自分で勝手にやっとけよ、と思ってきたが、まんまとダンナは健康診断のたびに、高血圧に肝機能低下を言われるようになった。

笑ってはいるが、白髪もひどいし禿げ散らかしてる。昔はめっちゃいい男だったのになぁ。

今回帰ってきたら、なんでか耳が黒ずんでて皮膚がかっさかさになってた。ちょっと調べたら、たぶん肝機能の低下からきてるっぽいし。も~ほんと、ちゃんとしたもん食べろよ~って。


が。

あれは全部、ワタシの結果だ。

今更にしてそう思う。

ずっと、ワタシが自分のことばかりにかまけてきた結果、ダンナは嫁がいるとは思えないほど不摂生を極める生活を送ってもへっちゃらになってしまった。


ほんといまさらながら、ガミガミワタシが言ってみたところで、

「どうせ早く死ぬからいいんだ。」

と言ってるし。

僻んでるわけでも恨み節でもなんでもなく、生きがいとかやりがいとかにまったく頓着しない男が、そこにいやがるよ。

いやぁ、子供でもいたら違ったんだろうなぁとつくづく思った。申し訳ないと、またも今更思ったりもする。

だがね。

今、20代をもう一度やったところで、やっぱりワタシは子供のいない人生を選んだだろうしね。

今更だよ。今更。

今更健康になれと言ったところで、今更大事にしてやると言ったところで。

ダンナを変えることは不可能だと思う。ほんと、精神だけは鋼の男だからね。

イソジ、最期のミッションだっ!

だがね。

そうは言ってもまだ、うちら、生きてるしね(笑)。

生きてるうちなら、人はいくらでもやれることは、ある。

それも経験で、十分に知ってる年ではあるのでね。


人を変えることは出来ない。

だから、ワタシが変わるしかないのよね。これ。


あの、奴のやる気のなさだけは変えることは出来ないだろうけどね。

あいつにだけはちゃんとした『老後』を用意だけはしてやりたいと思ってるのが、実は密かなミッションだったりする。今まで養ってもらってた分、ワタシがなんとかしてやんなきゃ!とは思ってて。

だからこそ、今、計画を立てて、実行し、将来に備える努力を積み上げている。

イソジにして「将来」とか言ってんのかよ?とも思うが、ついこないだまでワタシも「早死にしたい派」だったわけで、何も考えてこなかったからさ。

長生きしたい・したくない、じゃなくて、長生きしちゃったらバージョンを、イソジにしてようやく真剣に考えちゃったわけだし、遅れをとってんのはしょうがないわよね。

60代70代、もしかしたら80代まで生きながらえちゃうかもしれないわけだしね。

とにかくそんなわけで(どんなわけだよ?)、ダンナを見送りながら、さらに気を引き締めて頑張ろうとは思うに至った。

頑張って、何とか自分の稼ぎ口を確立させなきゃ。人に雇われる形を卒業して。



最期の最後。

たった一つだけ、後悔しないように。